2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
来年の定禅寺ストリートジャズフェスティバルに本気で参加しようと思い、昔、広告代理店を退社するときに送別会で歌った玉置浩二の「メロディー」を家の玄関でアカペラで歌ってみた(笑)。 ここ数年はカラオケに行く機会も殆どなくなったし、ボイトレも全く…
この数日で仙台は一気に涼しく、というどころか寒くなった。 先週横浜から引っ越して来た私の姪などは、毎日「寒い、寒い」と震えているらしい。 つい1~2週間ほど前までは、35度を超える猛暑日もあったのに。 私の部屋の中では、まだ8月だというのに無…
夏になると、この年齢になった今でも、必ず「名探偵カッレくん」を読む。 スウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーンの作品である。 この「名探偵カッレくん」シリーズを初めて読んだのは、小学校高学年だったと記憶している。 今でも書棚にあ…
1977年、大学1年の夏、僕は仙台の実家に帰ったのも束の間、とんぼ返りで東京に戻り、学生会館のサークルの部室でギターを弾きながら歌っていた。 多くの学生が帰省して人のいなくなった南青山の学生寮で9時過ぎに目覚めると、飯も食べずに、特に何の目…
3点差。6回裏二死満塁。佐藤将太の打球は鋭くセンター方向へ飛んだ。 「超えろ!!」 思わず私は叫んだ。 打球はセンターの左を抜けてフェンスまで達する。 走る。走る。 サードランナー、セカンドランナー、ファーストランナーまでが帰り、 走者一掃の三…
100年目の記念すべき夏の高校野球。 仙台育英が早稲田実業に勝って、ついに決勝まで勝ち進んだ。 大越君が大粒の涙を流した平成元年以来の仙台育英の決勝進出。 さらに遡れば、三沢高校の太田投手が延長18回の激戦の末、引き分け再試合になり敗れた昭和…
昨日載せた音楽「secret base~君がくれたもの~」の歌詞の中に “10年後の8月、また出逢えるのを信じて” という印象的なフレーズがあるので、卒業した年の10年後の話を書いたが、 歌詞をよく吟味すれば“最後の夏休みから10年後”という意味なので、 台…
台中時代、夏休みに入ると頻繁に西公園にある屋外市民プールに行き、帰りには市民図書館に寄って、本を借りまくっていた。 図書館、プール、繁華街、どこへ行くにも自転車だった。 仙台に戻って来た三年前の夏、あまりの暑さにプールに行きたくなった。 ネッ…
つい二日前、森田童子「男のくせに泣いてくれた」のムービーを作るために、様々な関連画像をネットから拾ったのだが、その中にライブのポスターがあったので何気なしに入れ込んだ。 作った時は開催年が昭和54年となっていたので「ふーん。昔からやっていた…
『『日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時』朝日新聞社発行 (1990年08月発売) 「1985年8月12日、日本航空123便ジャンボ機は524人を乗せて群馬県の山中に墜落した。それは新聞社にとっても、以後数十日間続く苛酷なドラマの始まりであった。」と裏表紙には書か…
あれは大学二年の夏休みだったと思う。 東京の大学に進学してからは、二カ月に及ぶ長い夏休みも、春休みも、正月さえも、仙台に帰省して数日すると私は東京に舞い戻っていった。 別に大事な用があったわけではない。 サークルの部室が私の心の住処となってい…
夏になると、突然森田童子が聴きたくなる。 と言っても、もう夏も終わりつつあるけれど。 私たちの世代、いや私たちより少し上の世代の方々のほうが、彼女の楽曲に対する思い入れが強いのではないか。 学生運動がまだ盛んだった頃、活動をしていた人たちの支…
仙台七夕の朧げな記憶は“青森から仙台に戻って来た小学4年以降” と一昨日書いたのだが、 昔のアルバムを見ていたら「昭和40年8月」 というキャプションが付いている七夕の写真が見つかった。 昭和40年と言えば、私はまだ小学2年生である。 おそらく、…
今年も仙台の七夕祭りが昨日から始まった。 昼よりも夜の七夕のほうが風情があっていいのだが、 その時間帯に観に行くには、なかなか都合がつかない。 私の記憶にある仙台七夕は、 青森から仙台に戻って来た小学校4年の頃からだと思うが、 それでもおぼろげ…
「ごめんなさい、お役に立てなくて」 この言葉を聞いたのが約三週間前。 旭ヶ丘小学校時代によく遊んだ女の子、台原中学校の同期生。 同窓会立ち上げを企画して、初めて連絡が取れた同窓生。 彼女から突然電話がかかって来た時は、胸がときめき、 思わず、「…
夏の高校野球が好きだ。 あの炎天下の中で懸命にプレーする高校球児の姿は胸を打つ。 私にその印象を最初に焼き付けたのは、 忘れもしない、小学6年生の時のあの試合だ。 私が旭ヶ丘小学校6年生だった年の夏、東北は異常に燃えた。 夏の高校野球、甲子園で…