楳図かずおさんが電車の中で描いてくれたマンガ

楳図かずおさんが国際的な漫画賞を受賞!!

フランス西部のアングレームで開かれた「第45回アングレーム国際漫画フェスティバル」(25~28日)で、漫画家の楳図かずおさん(81)の作品「わたしは真悟」が、永久に残すべきだと認められた漫画に与えられる「遺産賞」を受賞した。同フェスティバルは欧州最大級の漫画祭で、日本人の同賞受賞は、水木しげるさん、上村一夫さんに次いで3人目。(毎日新聞)

という朗報が届いたので、35年前に電車の中で、楳図かずおさんが私のために描いてくれた漫画のエピソードを再掲載させていただきます。

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東京時代、様々な方と知り合ったり、或いは記念として保存しているものがあり、めったに見られない珍しいものも多々あるので、それをご披露していこうと思います。
ご覧になって楽しんでいただければ幸いです。
私は大学を卒業して社会人になったとき、それまで住んでいた下落合から中央線の国分寺駅にあるアパートに引っ越した。
社会人になるにあたり、一つの区切りとして二部屋あるところに住みたいと思った。
仕事で疲れて帰宅し部屋の電気を点けたとき、そこだけが私の居所ではなく、襖(或いはドア)を開ければもう一つ別の世界がある。
そういった心の余裕がないと、毎日の生活にストレスが溜まるのではないかと考えたのだ。
その条件に合う部屋を春休み期間中探し続けると、家賃の関係からどんどん遠いところにならざるを得なかった。中央線、西武新宿線西武池袋線などの沿線を探し回り、結局国分寺駅南口から徒歩10分のところにようやく適当なアパートが見つかった。
家賃は3万5千円。
その他に電気、ガス、水道、電話などの光熱費がかかる。二階建てで玄関が直接外に面している建物だった。そのアパートから神保町にある会社まで中央線に乗って三鷹まで。そこで地下鉄東西線に乗り換えて竹橋まで。ドアツードアで会社まで約1時間だ。
大学時代からの行きつけの呑み屋がある高田馬場駅も通るので、会社からの帰りに、時折、途中下車して呑み屋に立ち寄った。
入社して半年ほど経った昭和58年10月28日のことだ。
高田馬場で酒を呑んで、駅から三鷹行きの地下鉄に乗った。ドアが閉まると私は辺りを見回した。
その頃テレビでよく見かける、もじゃもじゃ頭の漫画家に似た人がドアの横に立っていた。
似ている。というより間違いなく本人だ。
周りの人も気付いたらしく、ひそひそ声が聞こえた。私は酔っていた勢いもあり、近寄って気軽に話しかけた。
楳図かずおさんですよね?」
「あ、はい。そうです」と彼は答えた。
私は気が大きくなっていたので、周囲の視線など全く気にせずに、「サインしてもらえますか」と仕事用の手帳を彼に差し出した。
混雑した電車の中である。しかも立ったままである。
それなのに彼は快く応じてくれた。それどころか、当時『ビッグコミックスピリッツ』に連載していた「わたしは真悟」を毎週読んでいるという話を振ると、漫画まで描いてくれた。
さらに「お名前は?」と楳図さんが訊くので、私が名乗ると、名前まで入れてくれた。
それがこれである。
イメージ 1
これは天地左右が15cm×10cmほどのビジネス手帳に書いてくれたものなので、実物はかなり小さい。
揺れる電車の中で、よくこれだけ上手に書けるものだと感心する。しかも同乗していたのは15分程度なので、これを書くのに要した時間はわずか5分ほど。さすがプロの漫画家である。

これ、今見て思ったのだけれど、”my name is shingo.”と書かれているが、「わたしは真吾」の「真吾」ではなく、有名なまことちゃんの絵ですね。友人からも指摘を受けました。「ぐわし」という台詞も書かれているし。何故、まことちゃんを描いてくれたのだろう?
調子に乗った私は、その後も楳図さんと色々な話をした。
連載中の「わたしは真吾」は今後どういう展開になっていくのか? とか、昔読んだ「漂流教室」の話とか、梅図さんの漫画を初めて読んだのは小学校低学年の時で、そのときの「へび少女」が怖くて眠れなくなった話とか。
WIKIで確認して思い出しました。真昼間に読んだのに、夜寝る前に思い出して怖くて眠れなくなったのは『週刊少女フレンド』に連載されていた「へび少女」でした。何故に男の子の私が『少女フレンド』を読んだのだろう? と疑問に思いましたが、おそらく姉が買ったものだと思われます。
 周囲の人たちは馴れ馴れしく話す私をうらやましそうに見ていた。こんなときは、羞恥心など欠片もない酔っぱらいの勝ちである。
楳図さんはまるで、昔からの友人のように気さくに受け答えしてくれた。
「次は吉祥寺」というアナウンスが流れると「あ、私は次で降りますので」と彼が言った。
私は「これからも続きを楽しみにしています」と笑顔で答えた。
吉祥寺駅に着いてドアが開くと、ホームに降り立った楳図さんは、まだ若輩者の私に向かって深々と頭を下げ、「それでは失礼します」と言って歩いて行った。
なんとも腰の低い有名人だった。
テレビで見せるお茶らけた感じはさらさらなく、とても真面目な雰囲気の方だった。あとで知ったのだが、楳図さんの事務所は当時高田馬場にあり、自宅が吉祥寺とのことだった。
これは永久保存版として、実物の手帳と、それを無くしても大丈夫なようにその拡大コピー、さらに画像データとして保存している。
あれから35年経ち、楳図さんは現在81歳。
1995年に完結した『14歳』以後、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆中とのことだが、また楽しい、或いは背筋がゾクゾクするようなホラー漫画を描いてほしいものである。
ところで、この原画の価値はどのくらいするものだろうか?
今度「なんでも鑑定団」に出してみようかと思っている私なので®