還暦を迎えて 新たなはじめの一歩を踏み出す


2018年2月2日、ついに還暦を迎えた。
何故か、高校のときぐらいから、50歳ぐらいで死ぬつもりだった。それ以上生きていたって楽しいことなどないだろうと思っていたのだ。

ただ老いさらばえていく。
そんな人生に何の価値、何の楽しみがあるのだろう。子どもが生まれたら、息子がきちんと就職し、娘は結婚する。そこまで見届ければ充分だと思っていた。

それまでにじぶんのやりたいことをやる。
仕事も遊びも趣味も、やるだけやって人生を終える。そんな生き方が理想だと思っていた。その思いは、結婚して娘も息子も生まれた30代になっても変わらなかった。

その私が50歳どころか、60歳になってしまった。
この10年間、簡単には言い表せないほど色々なことがあった。全く予想しない人生の転換だった。普通の人たち(この概念自体は曖昧で、何が普通かと問われれば正確に返答できないけれど)と違う歩み方をしたと思う。誰も経験できないようなことも数多くした。それ故に個人的には充分満足しており、やりきった感はある。

それが良かったのか悪かったのか、今は分からない。
朝井リョウ君の小説「武道館」のなかにこんな台詞がある。
「正しい選択なんてこの世にない。たぶん、正しかった選択しか、ないんだよ」

そうなのだ。
人生が一度きりのものである以上、右へ行くか、左へ行くか選択肢は常にひとつ。後戻りはできない。選んだ道が正しかったかどうかは、自分のその後の生き方で決まる。でも実際には、本当に正しい道を選んだかなんて、誰にも分からない。今の自分に後悔しないためには、正しい生き方を選んだと思うしかないのだ。

キャンディーズが活躍していた頃と同じ時期、ラジオの深夜放送「落合恵子のセイヤング」を聴いていた高校時代の私の心の中に今でも刻まれている言葉がある。

或るリスナーから送られてきた手紙の文章である。
手紙の内容は、田舎から東京に一人出てきたものの、寂しくて、辛くて、哀しい毎日を送っているというものだった。でも、その手紙の最後の台詞がこうだった。
「誰が選んだ道じゃない。自分で選んだ道だもの」
結果的に苦しい選択をしたとしても、それは飽くまで自分で選び取った道なのだ。

東京にいれば、全く違った生活を送っていただろう。
でも、それが自分にとって良かったかは分からない。それでも、二人の子供に対して申し訳ないという気持ちはずっと抱き続けるとは思うし、会いたいという思いは少なからずある。

50歳を過ぎ、60歳を迎えても楽しいことはまだまだあった。
来年のラグビーワールドカップ。再来年の東京オリンピック。こんなすごいものを生で日本で見られるとは思っていなかった。

4年に一度、私の楽しみがある以上、ずっと生き続けるのかもしれない。

誰が選んだ道じゃない。自分で選んだ道なのだ───。
そう信じて私は一人で生きていく。多くの素晴らしい友人たちに囲まれながら。

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