台原中学校時代の想い出
新幹線の窓の外を流れる景色は、過去を置き去りにしていくのか、まだ知らぬ未来に向かっていくのか、どちらなのだろう。 別れか、出会いか。 私は、東北新幹線「やまびこ」に乗り、冬晴れの青空を見上げながら、東京に向かっていた。 約四十年ぶりに再会する…
あしたのジョーの写真の処理に時間がかかっているので、ちょっと一休み。 以前書いたものに進展があったので、修正して再掲載───。 座って空を見ていると 鳥が飛んでいた 真っ直ぐ飛んで 真っ直ぐ飛んで 見えなくなった 空は何色 あの鳥は何 座って海を見て…
先日、台原まで行ったので、台原中学校を訪問し、校長先生にお会いし、いろいろと今回の趣旨を説明してきました。 還暦同窓会を成功させるために様々な手段を駆使しても、先走った勝手な行動だと判断されても困るからです。 正式に台原中学校の了解を得るの…
40年振りの再会───。 うーん、二日酔いで頭が痛い。頭が働かない。文章が書けない。 こんなに飲んだのは、いつ以来だろう。 あれほど長い時間飲み続けたのは、いつ以来だろう。 記憶を遡れば、10年ほど前、六本木からお台場と渡り歩き、 夜の7時から翌…
台原中学校では、放課後4時(5時?)になると 「下校時間になりました。みなさん帰りましょう」 というお決まりのアナウンスが流れる。 当時、誰の発案か忘れたが、O君、I君、TO君、TA君たちと 紙飛行機を作って屋上から飛ばそうということで、 放課後…
本日(9月16日)の河北新報夕刊をご覧になったみなさんへ。 台原中学校昭和48年卒業生の方は、是非、下記にアクセスし、 掲示板に書き込みなさるか、或いは私宛にメールをお送りください。 何卒よろしくお願い致します。 ブログ名は“3年7組”となって…
昨日載せた音楽「secret base~君がくれたもの~」の歌詞の中に “10年後の8月、また出逢えるのを信じて” という印象的なフレーズがあるので、卒業した年の10年後の話を書いたが、 歌詞をよく吟味すれば“最後の夏休みから10年後”という意味なので、 台…
台中時代、夏休みに入ると頻繁に西公園にある屋外市民プールに行き、帰りには市民図書館に寄って、本を借りまくっていた。 図書館、プール、繁華街、どこへ行くにも自転車だった。 仙台に戻って来た三年前の夏、あまりの暑さにプールに行きたくなった。 ネッ…
今年も仙台の七夕祭りが昨日から始まった。 昼よりも夜の七夕のほうが風情があっていいのだが、 その時間帯に観に行くには、なかなか都合がつかない。 私の記憶にある仙台七夕は、 青森から仙台に戻って来た小学校4年の頃からだと思うが、 それでもおぼろげ…
「ごめんなさい、お役に立てなくて」 この言葉を聞いたのが約三週間前。 旭ヶ丘小学校時代によく遊んだ女の子、台原中学校の同期生。 同窓会立ち上げを企画して、初めて連絡が取れた同窓生。 彼女から突然電話がかかって来た時は、胸がときめき、 思わず、「…
以前、“男と女では年を取ると声の変わり方が違う” と書いたけれど、それはどうも間違いだったみたいだ。 単に小学校時代の女の子の声を40年ぶりに聞くのと 二十歳を過ぎてからの男の声を35年ぶりに聞くという、 その人の声を最後に聞いたのがいつの時代…
歌を熱心に聴くようになったのはいつ頃からだろう。 やはり、台原中学校に入学してからじゃなかったか。 もちろん、小学校時代だってテレビの歌番組を見て、 口ずさんたりはしているのだが、レコード大賞とか、紅白とかを 真剣に見るようになったのは中学に…
台中時代の多くの友達とは、もう40年以上会っていないけれど、 高校時代の友人とは、それよりもう少し短い期間、 35年ほど会っていない。 大学四年の頃、夏休みで帰省した時、数年ぶりに野球部の仲間と会った。 みんな二十歳を過ぎてお酒を飲める年にな…
考えてみれば、この40年間、約600人の台原中学校同期生が 様々な人生を歩んできたわけです。 みんながみんな、後悔などまるでない幸せな道のりを歩んできた わけではないんですよね。 苦しいこと、辛いことなどをたくさん経験してきた 方々も数多くいる…
先に、台中一年生時代の想い出の名曲として はしだのりひことクライマックスの「花嫁」を紹介しましたが、 こちらは、この曲を作曲した坂庭省悟さんのオリジナル版です。 YOUTUBEでたまたま見つけ、初めて聴いたのですが、 こちらのほうもなかなか味があるの…
ぼくらが晴れて小学生から台原中学生になった年、昭和45年は 大阪で万博が開催された年だ。 中学生という響きは、小学生とは明らかに何かが違っていた。 ついこの前まで、半ズボン姿で泥にまみれて遊んでいたガキが、 詰襟の制服を着て、かしこまった顔で…
座って空を見ていると 鳥が飛んでいた 真っ直ぐ飛んで 真っ直ぐ飛んで 見えなくなった 空は何色 あの鳥は何 座って海を見ていると クジラが泳いでいた 真っ直ぐ泳いで 真っ直ぐ泳いで 見えなくなった 海は何色 あのクジラは何 空を鳥が飛んでいる 海をクジラ…
昭和47年12月31日。 台原中学校三年生として迎えた大晦日。 レコード大賞、紅白歌合戦を見終えた私は 深夜、父親と一緒に自転車で近くの東照宮に向かいました。 そう、三か月後に迫った高校受験合格を祈願するために。 真夜中の東照宮は初詣に来ていた…
昭和47年6月の修学旅行。 二日目の東京では確か鳳明館という宿に泊まりました。 場所は文京区本郷。 夜、部屋の窓から電車の走る光景が見えました。 暗闇の中、右から左へ。左から右へ。 夜遅いというのに数分おきに電車が行き交います。 「東京はこんな…
悲しいことがあると 開く皮の表紙 卒業写真のあの人は やさしい目をしてる─── そういえば、この出だしで始まるユーミンの名曲『卒業写真』。 大学時代アルバイトで、小さな塾で女子中学生五人を教えていたのですが、 私の指導のお陰で(?)彼女たちが無事に…
去年、横浜に遊びに行ったときの山下公園と氷川丸。 そういえば、台中の修学旅行は、当時お決まりの「日光・東京・横浜」で、ここにも来たなあ、と感慨深いものがありました。 昭和47年の六月だったでしょうか。 あの頃の横浜は、こんなに美しく綺麗な街で…
思うところがあって、 昭和48年に仙台市立台原中学校を卒業したみんなへのメッセージをこめた文章を載せるブログを開設しました。 35年間住んでいた東京から離れ、故郷仙台に戻ったのが2012年の夏。 あれほど憧れた大学への思いを胸に上京し、故郷仙…