何故に同窓会にこだわるのか。
還暦同窓会を成功させるために様々な手段を駆使しても、先走った勝手な行動だと判断されても困るからです。
正式に台原中学校の了解を得るのが筋だろうと判断したためです。
校長先生には、突然の訪問にも拘わらず快く応じてもらい、概ね趣旨を理解して頂きました。僕が何故に同窓会開催に拘るのかについても正直にお話ししました。
台原中学校は素晴らしい中学校だったと今でも思うからです。
というホームページの冒頭に書いたように、けして忘れることのできない思い出がたくさん、それこそ抱えきれないくらいのものがあるからです。
人間なんて、いつ死ぬか分かりません。
残された時間なんて、たかが知れています。
それなら、生きている今のうちに会いたい人たちに会っておきたい。
あの時、言えなかった一言を言っておきたい。
あの頃、勇気がなくて伝えられなかったことを伝えておきたい。
60歳まで生きられるなら、その感謝の気持ちをこめて───
60歳まで生きられなかった友たちの無念の思いもこめて───
急に重たい話になって、申し訳ありません。<(_ _)>
校長先生に了解を頂き、現在の台原中学校の写真を何枚か撮影してきたのでご覧ください。
心臓破りの坂───毎日毎日、自転車でこの坂を登り切るのは結構大変でした。
登り切ってようやくたどり着いた正門。
正門から入るとこんな感じ。右側が体育館だったかな?
ここが正面入り口。下駄箱がたくさん並んでいました。
僕らの時代は二階が渡り廊下になっていて、二つの校舎を繋いでいましたよね。
希望の泉。別名「絶望の泉」とも呼ばれていたようですが、僕にはこの泉の記憶が全くありません。
※この泉の場所が分からなくて、近くにいた女の子たちに「OBなんだけど」
と自己紹介して尋ねたら「ああ、あのきったない泉ね」と教えてくれました(笑)。
F君やS君たちと昼休みによくサッカーをして遊んだ校庭。
校内に入り校長室に向かう時、ちょうどチャイムが鳴り、授業を終えた台中生たちが一斉に廊下に飛び出して来ました。
その喧しさたるや、すさまじいもので、案内してくれた事務の女性の声が全く聞き取れないほど。
休み時間あんなに僕らもうるさかったかなあ? と遥か昔に思いを馳せました。