オフコース研究会??

僕らのサークルの部室は、大学構内に入る南門の斜向かいにある
学生会館という古い建物の三階にあった。

『19号室』と呼ばれるその部屋は、中央に木製の大きな机があり、
周囲を長椅子で囲まれ、さらにその周りには、ロッカーやら、
金庫やら、ガリ版印刷機やらであふれ返り、
足の踏み場もないほどの猥雑な部屋だった。

その部屋には、僕の所属するサークルと童謡研究会
(何故かそのOBに少女漫画誌『りぼん』の1970年代の
 看板作家の一人である田淵由美子さんがいる。
 一度、田淵由美子さんが大学祭の時訪れたことがあり、
 サークルの女の子たちがきゃぁきゃぁ騒いだことを覚えている)

さらには切手研究会という三つのサークルが同居していた。

大学二年の春のことだ。
四月に入ってすぐ、新入生やら、その新入生を自分たちの
サークルに勧誘しようとする上級生たちで、構内はごった返していた。
僕は、我関せずと、いつものようにその部室で一人、
ギターを弾きながら歌っていた。

突然、“コンコン”と部室のドアを叩く音がした。
僕は歌うのを止めて「はあい」と返事をした。

ゆっくりとドアが開き、若い女の子三人が顔を見せた。
もちろん、僕だって当時は若いのだが(笑)。

三人の女の子が入って来て、そのうちの一人が僕に尋ねた。
「あのう、今、オフコースの歌を歌ってましたよね?」
たしかに、彼女たちが部屋に入ってくる直前、
僕はオフコースの「秋の気配」を歌っていた。
かなり大きな声で歌っていたので、部室の外まで聴こえていたらしい。

「ここはオフコース研究会ですか?」
一人の子が僕に訊いてきた。
オフコース研究会? そんなのあるの?」
「はい、私たち、そのサークルを探してるんですけど」

僕の大学には、他の女子大からサークルに入って来る子もたくさんいた。
女子大ではサークルも少なく限定されるので、より自分のやりたいことができる
サークルを見つけたかったのだと思う。

「いや、ここは違うよ。ふーん。そんなのあるんだ」
「はい。どこにあるか知りませんか?」
僕はオフコースの歌が好きで、メインで歌っていたけれど、
オフコース研究会というサークルの存在など全く知らなかった。
彼女たちは女子大の一年生で、そのサークルに入りたくて来たらしい。

「いや、知らない。少なくともこの学生会館にはないと思う」
僕の言葉に彼女たちは戸惑ったようだった。
そこで、踵を返して帰るのかと思いきや、
彼女たちはそこに立ったまま、一人の子から思いがけない言葉が飛び出した。
「お上手ですよね。ここで聴いていても良いですか?」

うわあ、そのときの僕の気持ちを何と言っていいのか。
まあ、ぶっちゃけた話、嬉しかったんですけどね。

「あ、いいですよ。良かったらそこに座れば」
大きな机を挟んで長椅子に三人揃って腰を下ろした。
僕の言葉に素直に従う彼女たちの、まあ可愛いこと。
僕と真正面に向かい合う彼女たちとの距離は2mほど。

彼女たちにしてみれば、アリーナ最前列センターの気分だったに違いない(笑)。
一年生ならば、年令で言えば僕より2つほど下だろう。
なかでも、一人ずば抜けてタイプの女の子がいた。

もう僕は、完全に本物のオフコースになった気分だった。
「何かリクエストある? だいたい何でも歌えると思うよ」
「じゃあ、何にする?」と彼女たちは相談し、何曲か挙げてきた。
「愛の唄」「ワインの匂い」「眠れぬ夜」「ひとりで生きてゆければ」
「老人のつぶやき」「歌を捧げて」等々。
10曲近く歌っただろうか。
「ありがとうございました。じゃあ探してみます」
揃ってお辞儀をすると、三人が一斉に立ち上がった。

えっ、このまま帰っちゃうの? 帰しちゃうの?

僕の頭に名案がひらめいた。
「どうせだから、うちのサークルのノートにも連絡先書いてって。
 オフコース研究会見つけたら連絡するからさ」

嘘である───。

オフコース研究会」など探す気は毛頭なかった。
ただ、僕のタイプの子の電話番号が知りたかっただけだ。
彼女たちは素直に僕の言葉に頷き、書き始めた。

三人全員が書き終わり
「それじゃあ、ありがとうございました」
と可愛い声で言って、部室から去って行った。

さてさて、どこに住んでいるんだい?
ノートには、彼女たち三人の名前、住所、電話番号が書かれてあった。
やった! と僕は一瞬小躍りしかけたが、
どれが誰の住所か分からない、という重要なことに気付いた。

三人全員に電話を掛ける??
それは無理でしょう、露骨すぎるもの。そんな節操のない人間ではない。
茫然自失。途方に暮れた。

それに、全員に電話を掛けたとしても、顔までは見えません。
最近のスマホや携帯のように、テレビ電話に切り替えられれば別ですが。

ああ、名前だけでも一人ひとり先に聞いておけば良かったのに。
もう、後の祭り。後悔先に立たず。
結局、僕は誰にも電話を掛けることができなかったのです。

今の時代ならなあ───。
すぐに「携帯のメアドも書いていってね」とでも言っていたことだろう。
でもメアドを書いてもらっても一緒か。
どのメアドが、どの子のものなのか分からないのだから。
さすがに「顔写真添付して送ってくれ」なんて言えるわけもなし。

ああ残念なことをした、と今でも思う(笑)。

ことほど左様に、いつでも、最後の詰めが甘い僕なのです。
そんなわけで、僕の大学生活は、後悔先に立たず。
というか、そういう日々が多かったのです。

それにしても、どうして先に名前訊かなかったかなあ。
しっかり訊いていれば、
その後の僕の人生は全く違ったものになっていた可能性さえあります。
人生の岐路は、様々なところに存在しているとあらためて思うのです。

オフコース「愛の唄」
註:この映像は、2011年4月、私が田中好子さんのお通夜に参列した後、
  帰宅してから4時間かけて作り、YOUTUBEにアップした貴重なものです。

とても美しい遺影でした。祭壇に向かい焼香した時には涙が零れました。
何故オフコースの「愛の唄」をBGMに使用したか、私が何を思ったか、など
その時の詳しい様子はYOUTUBE元サイトに書き残してあります。
ご覧になりたい方は映像の中の左上のタイトルをクリックすれば飛びますので。
青山葬儀場に行けなかったファンの方々からのコメントなども残っています。

補足:「愛の唄」のBGM使用については、Universal Music Groupからの
   使用許諾を受けていますので、著作権法上の問題はありません。