大学時代の想い出

1979年8月、38年前の夏休みに盲腸になる。(完結編)

まず最初にお詫びを。<(_ _)> 盲腸になったとき、ぼくは青山寮に住んでいたと思ったが、最後の電話の話を思い出すと、38年前の夏休みはすでに下落合で一人暮らしを始めた後だったことに気づいた。ただし、3月まで南青山寮に住んでいたので、夏休みは寮に…

1979年8月、38年前の夏休みに盲腸になる。(その1)

仙台は早朝にかなりの雨が降ったせいで、今日8月26日まで36日間連続降雨となり、観測史上最高記録を更新した。 明日は完全な晴れ予報なので、今日でやっと記録に終止符を打つことになるだろう。 10時頃からは空が明るくなり、久々の夏空が広がりつつ…

カルチェ・ラタンへの旅。「手塚治虫の街、高田馬場」にて完結。

高田馬場駅周辺は昔は大変汚く、山手線のワースト1になるほどでした。 そこで、駅周辺の美化と街のシンボルを作る取り組みとして、白羽の矢が立 ったのが、1976年(ぼくが入学する1年前)から高田馬場にオフィスを構え、鉄腕アトムが高田馬場生まれ(初めて…

カルチェ・ラタンへの旅。驚愕の新事実。

バスで高田馬場駅に到着しましたが、同窓会開始時刻の17時までにはまだ時間に余裕があったので、思い出の場所を少し散策。 ここは、ぼくたちが、月・水・金と週三回あったサークルの部会後にのんびりと馬場まで歩き、いつも向かった飲み屋街「さかえ通り」…

思い出のカルチェ・ラタンへの旅、終演に向かう───。

東京都内に唯一残っている併用軌道(車道も走る)電車の発着所である三ノ輪橋駅。 ぼくら二人はこの始発駅から最終駅の早稲田まで向かいました。 この地図の右端の「三ノ輪橋駅」から左下の「早稲田」駅まで 約1時間近くの間、ぼくらはチンチン電車に揺られ続…

カルチェ・ラタンへの旅。あしたのジョー、ついに完結

あしたのジョー、ついに完結!! 長らく続いた感動的なあしたのジョーのポスターも、ついに終わりを迎え、 カルチェ・ラタンへの旅も終盤に向かいつつあります。 「あした」を見つめるジョーと丹下段平、そしてマンモス西。 なんか、いい表情ですね。 このあ…

カルチェ・ラタンへの旅。あしたのジョー編(2)

「あしたのジョー」のふるさと、「いろは会商店街」のポスター、続きます。 ベネズエラ出身の天才的ボクサー、カーロス・リベラ(後にホセ・メンドーサとの試合でコークスクリューパンチを受けたことにより、重度のパンチドランカーになった。ジョーの最後…

カルチェ・ラタンへの旅。あしたのジョー編

丹下段平 この頃の白木葉子さんは、まだジョーより力石のほうが好きなような感じ。 東光特等少年院で一番ひ弱な少年だった青山まもるかな? この白木葉子さんは若いので、少年院を訪れていた頃でしょう。 やはり、カラーのほうがかっこいい。 こんな立て看板…

啄木から始まる、ぼくのカルチェ・ラタンへの旅

8月には、台中のみんなとの再会が暗礁に乗り上げていたこともあり、 大学時代のサークル仲間と16年ぶりの同窓会をも企画していました 仲間とのスケジュールが合ったのが、三連休の中日である10月11日。 午後五時開始の16年ぶりの同窓会に出席するた…

オフコース研究会??

僕らのサークルの部室は、大学構内に入る南門の斜向かいにある 学生会館という古い建物の三階にあった。 『19号室』と呼ばれるその部屋は、中央に木製の大きな机があり、 周囲を長椅子で囲まれ、さらにその周りには、ロッカーやら、 金庫やら、ガリ版印刷…

ソーダ水の中を貨物船が通らない??

大学三年の、年も明けた1月頃だったでしょうか。 私はその前年の暮れに行われたT女子大の 大学祭で知り合った女の子とデートすることになりました。 彼女は横須賀在住、私は西武線高田馬場駅から一つ目の下落合に住んでいました。 距離が離れているので、…

夏休み───ぼくの大好きな青髭

1977年、大学1年の夏、僕は仙台の実家に帰ったのも束の間、とんぼ返りで東京に戻り、学生会館のサークルの部室でギターを弾きながら歌っていた。 多くの学生が帰省して人のいなくなった南青山の学生寮で9時過ぎに目覚めると、飯も食べずに、特に何の目…

森田童子のムービーを見直して驚く。

つい二日前、森田童子「男のくせに泣いてくれた」のムービーを作るために、様々な関連画像をネットから拾ったのだが、その中にライブのポスターがあったので何気なしに入れ込んだ。 作った時は開催年が昭和54年となっていたので「ふーん。昔からやっていた…

森田童子の話(その2)

あれは大学二年の夏休みだったと思う。 東京の大学に進学してからは、二カ月に及ぶ長い夏休みも、春休みも、正月さえも、仙台に帰省して数日すると私は東京に舞い戻っていった。 別に大事な用があったわけではない。 サークルの部室が私の心の住処となってい…

夏になると森田童子を思い出す───。

夏になると、突然森田童子が聴きたくなる。 と言っても、もう夏も終わりつつあるけれど。 私たちの世代、いや私たちより少し上の世代の方々のほうが、彼女の楽曲に対する思い入れが強いのではないか。 学生運動がまだ盛んだった頃、活動をしていた人たちの支…

───途方に暮れる。

しかし、台中昭和48年卒業同期生。 いったい、どこから探し出せば良いものやら 早くも途方に暮れています。 こうなったら、毎年九月に開催される 定禅寺ストリートジャズフェスティバルに 出演するしかないか、とも考えています。 ジャズフェスに「台中昭…