カルチェ・ラタンへの旅。「手塚治虫の街、高田馬場」にて完結。

高田馬場駅周辺は昔は大変汚く、山手線のワースト1になるほどでした。
そこで、駅周辺の美化と街のシンボルを作る取り組みとして、白羽の矢が立
ったのが、1976年(ぼくが入学する1年前)から高田馬場にオフィスを構え、鉄腕アトム高田馬場生まれ(初めて知りました)という手塚プロダクション1998年に高さ3m・幅15mの壁画が設置されました。

当初、壁画は『広告』であるというJR側の認識のため、広告費が必要とされたようですが、壁画の意義を理解してもらい、設置にこぎつけたとのこと。

1998年にできた壁画は、駅の改修工事のため2005年に一度撤去されますが、工事が終わった20083月、再現を望む声に応えて目白側のガード下に、JR側と西武側の2つに増えて復活しました。

壁画には、
高田馬場がこんな街になってほしい、という願いがこめられています。
かくして高田馬場は「手塚治虫の街」となったようです。


西武側のものは高田馬場西早稲田地域の
「歴史と文化〜過去から現在そして未来へ」がテーマ。
イメージ 1


イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4
大隈講堂や大隈重信銅像なども描かれています。

イメージ 5
手塚漫画の様々なキャラクターと夏目漱石など新宿で活躍した文豪たち。

イメージ 6
ジャングル大帝レオと堀部安兵衛の仇討ちの様子や穴八幡宮流鏑馬など。


JR側のものは手塚作品『ガラスの地球を救え』がテーマ。

イメージ 7
春の日差しを浴び、元気いっぱいに登校する子どもたち。

イメージ 8
子どもたちの登校の安全を守るビッグX。リボンの騎士はお花に水やり。

イメージ 9
地球も生きています。かけがえのない私たちの星を大切にしましょう。
とアトムが呼びかけています。

イメージ 10
リサイクルを通じ、環境保全を呼びかけているお茶の水博士。


この壁画を眺めた後、ぼくたちは16年ぶりの同窓会会場へと向かいました。

イメージ 11
右側に見えるのが、16年ぶりの同窓会の会場となった稲門ビル。

この4階にある店で、昔話や空白の16年などの話で盛り上がりました。
なかでも参加者全員が「えーーっ。うそ! マジで!」と驚いたのが。
(これ、書いていいのかな? 別に問題ないよね。本人から苦情が来たら
削除します。でも苦情が来ても、ぼくが蹴っ飛ばすけどね()

サークルに1~2年ほど在籍したM君(やはり本名出すのはやめよう)
というのがいるのですが、その息子が、最近、ドラマや映画で活躍して
いる俳優のM君
(親父と苗字が同じなのは当たり前。本名なのだから)
という驚きの事実を知ったときでした。

それに対して、「マジですかぁ!!」というのが、みんなの反応でした。
言われてみれば確かに似ている。親父の面影があると妙に納得しました。
さらにここで面白かったのが、「でも親父の方がハンサムだったよなあ」
という全員一致の意見。

もちろん、息子のM君も、かなりのイケメン俳優として有名なのですが。

ネットで調べると分かります。現在の親父の顔写真も35年前を彷彿とさせました。
ファンの間では、M君(俳優のほう)の親父はかなり知られている存在のようです。


午後5時開始の同窓会。学生時代なら必ずや遅れてくる人間が
いたのですが、見事に今回は5時前に参加予定者全員が集合。
大人になったところを見せてくれました。
 一次会は10時で解散。女性陣はそのまま帰宅。
 男連中はその後、終わり時間の定めがない個室で語り続けました。

最後に:
フランスの作家ポール・ニザンの著作『アデン アラビア』の書き出しに
「ぼくは20歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」
という有名な一文があるのですが、
『ぼくは19才だった。それはぼくの一生でいちばん美しい年齢だったかもしれないし、そうではないかもしれない。でもぼくは、その時から年を取ることをやめた』
と今でも思っています。
いつまでも、いくつになっても、子どもの頃や台原中学校時代や
学生時代の純粋な心を持ち続けていようと───。

というわけで、今回の『ぼくのカルチェ・ラタンへの旅』は終了です。

註:
“カルチェ・ラタン”とは、元々フランスのパリの地名であり、
 学生街を象徴する呼び名として使われることが多く、
 日本においては、明治大学日本大学中央大学専修大学など、
 多くの大学があった神田駿河台、或いは神保町周辺地域の名称として
 使われるのですが、「学生街」という括りで捉えれば、ぼくにとっての
 カルチェ・ラタンは、高田馬場と早稲田周辺の地域以外は考えられず、
 敢えてそういう表現を使わせていただきました。ご了承ください。

追記:高田馬場駅の壁画の話を書くにあたり、
次の資料を参考にさせていただきました。厚く御礼を申し上げます。
※参考資料:高田馬場新聞