カルチェ・ラタンへの旅。驚愕の新事実。

バスで高田馬場駅に到着しましたが、同窓会開始時刻の17時までにはまだ時間に余裕があったので、思い出の場所を少し散策。

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ここは、ぼくたちが、月・水・金と週三回あったサークルの部会後にのんびりと馬場まで歩き、いつも向かった飲み屋街「さかえ通り」。

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通りはこんな猥雑な感じで40年経った今でも雰囲気は変わりません。

さかえ通りについて、先日の台中クラス会で40年振りに再会したMさんとFB上で会話をしていたら、彼女がやけにこの辺りに詳しいので、
不思議に思って訊ねてみると、なんと!!!!!。
※テレビ番組なら、ここで2分間CM入れて引っ張るところですが、残念ながらそれができないので、改行で少し引っ張ります。(^◇^)















ぼくの学生時代、彼女は「さかえ通り」でアルバイトをしていたとの発言。
あまりの驚きに「ええ?? うっそー!!」と心臓が口から飛び出しそうでした。

しかも、ぼくは大学3年の時から寮を出て中落合のアパートに引越し、一人暮らしを始めたのですが、彼女は隣の上落合に住んでいたとのこと。さらには、駅も同じ『下落合』駅を頻繁に利用していたんですと!!

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これが西武新宿線の沿線図。下落合は高田馬場から一つ目の駅。
ぼくのアパートは降車してから右に渡り、坂を登っていく方角で、彼女の住まいは左に渡り、浄水場のある方角だったそうです。

つまり、ぼくと彼女は20才の頃、高田馬場周辺で出会っていた可能性はかなり高かったというか、間違いなく、すれ違ったり、ちら見くらいは(ぼくは)していたはずです。全く知らなかった……。
※ぼくは街を歩いている時、必ず考え事をしながら、歩いている人の顔を見るのが趣味(?)なので、絶対見ていたはずです。

ただし、この辺りを彷徨っていた当時のぼくは、いつも酩酊状態だったはずなので(笑)、見かけたとしても、「ああ、かわいい子がいるなあ」くらいは思ったでしょうが、台原中学校の同じ3年7組を卒業したクラスメイトの5年後の姿とは
想像もできず、気付くこともできなかった───。
いやあ、本当に驚きました。

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さかえ通りを少し行って左に折れた通りに、ぼくたちが40年近く行きつけの(今でも時々行きます)焼とんのお店「とん八」があります。
学生時代は、マスターが年配の方だったので、「この店が無くなったら寂しいなあ」などと心配していましたが、マスターが亡くなられたあと、息子さんが継いでくれたので、永久に不滅です。
店が無くなるより、ぼくらが亡くなる(笑)ほうが、間違いなく早いでしょう。

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さかえ通り商店街の西側の最後のお店、焼き鳥が安くて旨い「鳥やす」。
有楽町のガード下などより遥かに旨いです。
この店も、Mさんにとっては思い出の店らしいのです。

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さかえ通りを抜けるとすぐに、この「神田川」の看板が。
かぐや姫の名曲「神田川」の原点がここにあります。
あの曲はぼくたちが台原中学校を卒業した半年後、高校一年生の秋、昭和48年9月に発売され、ミリオンセラーとなりました。

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これが神田川です。

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ぼくたち二人は、ここからUターンし、再び高田馬場駅へ戻ります。

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高田馬場駅から山手線の外側方面に歩いて1分。
早稲田予備校のシンボルとして有名な13時ホールの時計。

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ここには馬場には珍しい『大都会』という高級ステーキレストランがありましたが、時の流れか、今ではセブンイレブンになっています。
ただしビルの所有者は今でも『大都会』のようです。
向かいにある「西友」から出てきた近所のおばさまに尋ねたら丁寧に教えてくれました。
ここにあったレストラン『大都会』もMさんの青春の場所らしいです。


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再度、高田馬場駅に戻り、ロータリーの辺りを一瞥。
正面にあるのは、ぼくらがよく本を買っていた「芳林堂」書店のビル。
今では一階がドン・キホーテになっています。
右側は、かつて「ボストン」というケーキ屋さんがあったビルで、(「おかしのまちおかという看板があるビルです)その4階ぐらいのガラス張りの窓際席に座ると、西武線の電車が右方向からゆっくりとホームに入ってくる光景が見えたものでした。
有名なドラマ(題名が思い出せませんが)のオープニングシーンにも使われたほどで、夕暮れ時に見ると、とても素敵な光景でした。

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芳林堂ビルの地下に入っているお店の電飾看板。
真ん中に見える「文流」というイタリア料理店は、ぼくの結婚式の二次会(と言っても、式当日からは1週間ほど後に開催したのですが)に貸し切りで使ったレストランで、今でもありました。
そして、この「文流」も、かつてMさんが時々利用していたとのこと。
これにも驚きました。不思議なものです。

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こんな感じのお店です。

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芳林堂ビルを出て、またまた高田馬場駅に戻る途中、この交番を見て、一瞬ドキッとしました。
何故なら、この交番こそ、ブログの「カルチェ・ラタンへの旅。あしたのジョー編」の最後に書いたぼくが『斉藤慶子さんの等身大水着の立て看板』を小脇に抱えながら、小走りに駆け抜けた交番だからです(笑)。今でも同じ場所にありました。

ラスト───『手塚治虫の街、高田馬場』に続いて終了です。