夏になると森田童子を思い出す───。

夏になると、突然森田童子が聴きたくなる。
と言っても、もう夏も終わりつつあるけれど。
 
私たちの世代、いや私たちより少し上の世代の方々のほうが、彼女の楽曲に対する思い入れが強いのではないか。
学生運動がまだ盛んだった頃、活動をしていた人たちの支えにもなり、郷愁を誘う音楽にもなっていたはずだから。
 
ギターやベースだけのシンプルな楽器をバックに独特の声で歌うメロディーは、儚くも、しっかりと聴く者の心に刻み込まれていく。
 
大学三年の夏、「早稲田小劇場」で聴いた生の“森田童子”は今でも忘れられない強烈な印象として残っている。
 
100席にも満たないライブハウス(小劇場)。
隣の人間と肩が触れ合うほどぎっしりと詰め込まれた暗い劇場内に、彼女の、か細い、それでいて力強さも併せ持った声が染み渡る。
 
空調が効いているにもかかわらず、満員の客席から迸る熱気のせいか、体中から汗がじんわりと滲み出てくる。
声など発する人間は誰もいない。
1時間半ほどの間、聴衆は幻想の世界へと誘われる。
 
隣に座ったのが当時好きだった女の子だったこともあるだろうが、今でも鮮やかにあの時の情景は思い出すことができる。
 
私より年代がかなり下の方々にとっても、1993年にTBSで放送され、教師と生徒の禁断の愛を衝撃的なストーリーで描き、物議を醸したドラマ「高校教師」の主題歌や挿入歌として何曲か使われたので、彼女の歌声を知っている人も少なくないだろう。
 
あのドラマの内容に、彼女の曲が見事にマッチしたことで、活動休止からちょうど10年の時を経て“森田童子”は不死鳥のように蘇った。
 
私は「マザー・スカイ=きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか」のLPを持っていたはずなのだが、何故か見つからない。
あの名盤はいったい何処へいってしまったのだろう。
 
今でも、夏になると森田童子を思い出す───。


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