森田童子の話(その2)

あれは大学二年の夏休みだったと思う。
 
東京の大学に進学してからは、二カ月に及ぶ長い夏休みも、春休みも、正月さえも、仙台に帰省して数日すると私は東京に舞い戻っていった。
 
別に大事な用があったわけではない。
サークルの部室が私の心の住処となっていたからだ。
エアコンもなく、シャツが汗ばんでくるほど暑い夏でも、サークルの部室で私はいつも一人でギターを弾きながら唄っていた。
 
ただし二年生の夏だけは、アルバイトと車の免許を取るために、東京に戻らず、一カ月近く仙台の実家で過ごしていた。
 
確か風呂用品販売の臨時店舗が駐車場側の出入り口に設置された南光台のジャスコ(今ではザ・ビッグと名称が変わったようだ)で、店番のようなバイトをしていた。
 
買う客など殆ど来ないので、ただ座っていればいい楽なバイトだった。
そこで、カセットレコーダーを持ち込み、レコードから録音した森田童子のセカンドアルバム「マザースカイ」をかなりの大音量で流し、毎日聴いていた。


森田童子の澄み切った歌声は夏の青空に響き渡った。
 
ある日、通路を挟んで向かい側にもあった臨時店舗(花屋だったと思う)で働いていた、私と同じくらいの年頃の女の子が、突然つかつかと歩み寄ってきて、私に尋ねた。
「それ、なんという人が歌っているんですか?」
「ああ、これ? 森田童子っていう人」と私は答えた。
「素敵な曲ですね」
彼女は微かに笑みを浮かべながら、私に言った。
私は、その日以降さらにカセットのボリュームを上げるようになった。
 
今でも南光台ジャスコの南口の駐車場に車を止め、店内に入るとき、30年以上前のあの日のことを思い出す。