カルチェ・ラタンへの旅。あしたのジョー、ついに完結

あしたのジョー、ついに完結!!

長らく続いた感動的なあしたのジョーのポスターも、ついに終わりを迎え、
カルチェ・ラタンへの旅も終盤に向かいつつあります。

イメージ 1
「あした」を見つめるジョーと丹下段平、そしてマンモス西
 なんか、いい表情ですね。

イメージ 2
このあと、ジョーはどこへ向かうのだろうか。

イメージ 3
鬼気迫る表情のジョーの立て看板。これではとても持ち帰れません。

イメージ 4
ドヤ街の仲間が全員集合。楽しそうです。しかし───。


イメージ 5

日本の漫画史上においても、あまりにも有名なラストの一コマ。
真っ白な灰となって燃え尽きたジョーの姿……。
ジョーは死んだ。いや、死んでいない。については諸説あるようですが。

原作者の梶原一騎氏の当初案では、ジョーは死んだことにする
考えだったようですが、漫画家のちばてつや氏は、それに異を唱えたらしい。
 
漫画評論家夏目房之介氏も「ジョーの身体が次のページ方向を向いており、
リングの線も同じように途切れずに向かっていることから明日があることを
意味している」と解説した。


ちばてつや氏のインタビューを掲載したスポニチによれば、
「真っ白になるまで頑張れば、新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった。いい加減な仕事をしていては明日は来ない。やろうと決めたことに全力投球してほしい。そうすればきっと自分の中に何かが残る。次の何かに頑張るとき、生きるものがある」
と語っている。
あしたのジョー」は当時、大学生らにも人気で、
漫画の読者層を大人にまで広げた作品といわれる。
寺山修司三島由紀夫らも愛読し、文学作品とも評価された。
だが、ちば氏の込めた思いは少年漫画らしい真っすぐなものだった。


1968年1月 〜1973年5月まで連載されました。
1973年というのは元号で言えば、昭和48年であり、
まさに、ぼくたちが台原中学校を卒業した年なのです。
ぼくたちが台中を卒業した約二か月後、ジョーは灰となって燃え尽きた───。


あしたのジョーのふるさと」を後にしたぼくたち二人は、
都電荒川線の発着駅である三ノ輪橋駅に向かいました。


付録:「巨人の星」と「あしたのジョー」は、ぼくたち世代の二大人気漫画でした。

どちらも原作は梶原一騎あしたのジョー高森朝雄名義)というのが凄いところです。加えて「タイガーマスク」も。実は、彼はぼくのサークルに入部希望で現れた。という話を年令がかなり上の先輩に聞かされたことがあります。そのとき、ダンボール2箱ぐらいにぎっしりと詰め込んだ原稿を持って来たとのこと。それを見たサークルの先輩たちは、あまりに膨大な作品の量に圧倒されたとか。あくまでも語り伝えられた話であり、真偽のほどは定かではありません。ただ、WIKIを読むと、梶原氏自身、ぼくと同じ大学の卒業と当初語っていたようなので、あながち、単なる噂、或いは都市伝説的なものではないのかもしれません。