1979年8月、38年前の夏休みに盲腸になる。(その1)

仙台は早朝にかなりの雨が降ったせいで、今日8月26日まで36日間連続降雨となり、観測史上最高記録を更新した。
明日は完全な晴れ予報なので、今日でやっと記録に終止符を打つことになるだろう。
10時頃からは空が明るくなり、久々の夏空が広がりつつある。
最高気温が32度という予報でもあり、これまた何日ぶりかの真夏日で暑くなるらしいが、まだそよ吹く風は心地よい。

やっと夏休みがやって来た気分だ。

夏休みになるといろんなことを思い出す。
小学校、中学校、高校、大学時代。

大学3年の夏休み、1979年の8月。
ぼくは東京で宅配便のアルバイトをしていた。
前年の夏休みに仙台に帰省し免許を取り、暮れにお歳暮配達のアルバイトを始めた。
その年はお中元配達である。
新橋にある配送センターに行き、自分の担当エリアの荷物を詰め込み、朝9時頃から会社の軽トラックで港区のエリアを回る。

前年とほぼ同じエリアなので、住所を見ただけで大体の位置関係が分かるので楽だった。
そのバイトを始めたおかげで、番地の号というのは一区画の中で北東の位置から時計回りに付けられていることを初めて知った。
※例えば南青山六丁目1番地13号というやつ。
「1-13」などという標識が家やビルに付いているが、「1-1」なら北東の角。
そこから時計回りに順々になっている。
「1-35」とかになると、回り回って「1-1」の隣だったりするわけだ。
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軽トラに詰め込んだ50個以上のお中元には、大きなもの小さなもの、重さも様々である。大きくて重いものは酒瓶だったり、缶ビールの詰め合わせだったり。小さいものや大きくて軽いものは、ブランド系のハンカチやタオルセットだったり。

デパートの包装紙に覆われた包みを荷台に乗って取り出し、抱えながらジャンプして地面に降りる。軽トラはエアコンが付いているが、外は灼熱の暑さなので次第に汗が滲み出てくる。夕方に配送センターへ戻る頃は汗びっしょりである。

バイトをやり出して1週間ぐらい経った頃だろうか。
その日は朝からお腹に少しきりきりとした痛みがあった。
荷物を抱えて荷台からひょいと降りるとき、ピリッとした痛みを感じる。朝はそうでもなかったのに、時間が経つにつれ痛みが激しくなっていった。昼近くになるとさらにひどくなり、運転していても痛むようになった。

これは明らかにおかしい。
車を運転しながら近くに医者がないか見渡した。〇〇内科という小さな病院の看板が目に留まった。車を停めてその病院に入った。
幸い患者は誰もいなく、すぐに診察してもらえた。シャツを脱いで横になり、先生が指で私の腹をぐっと押す。右脇腹の下を強く押されたときに、あまりの痛さに悲鳴を上げた。

先生は何度もそこを押し続けた。
ぼくは痛みのあまり、脂汗が出始めた。
「これは盲腸だね。急性盲腸炎の可能性があるので、すぐに手術したほうが良いかもしれないよ」
先生の口から飛び出た言葉に全く実感がなかった。
何が起こったのか理解できなかったという方が正しいかもしれない。

「住んでるのはどこ?」
先生の質問に、ぼくは南青山の学生寮の住所を告げた。
※これは大学3年の夏休みなので、すでに4月から西武新宿線の下落合で一人暮らしをした後だった。夏休みに入り、前にもやった宅配便のバイト先が新橋と南青山寮から近かったので、内緒で青山寮に泊まり、そこから通っていたのでした。<(_ _)>
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「じゃあ、恵比寿に専門の病院がある。紹介状を書くからすぐに行きなさい」と言われた。

すぐにぼくは配送センターに戻り「すみません。盲腸で手術しなきゃいけないらしいので、今日は帰らせてください」と係の人に言った。
係の人は疑わし気な眼差しをぼくに向けたが、とりあえず了解はしてくれた。
その後、脂汗も混じったべとべととした体で地下鉄に乗り、恵比寿の病院に向かった。

真っ青な夏空の日だった。
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(つづく)