タクシーの運転手に無理心中させられそうになった日。

本来なら、名古屋から仙台に向かったフェリーの続きの話を書かねばならないのだが、忙しくて書く暇がないのです。あのフェリーは本当に仙台港に着いたのだろうか?
そこで、昔ふと思い出して書いた文章を見つけたので、それを掲載させていただきます。<(_ _)>
 
一時期、遊び呆けていたことがある。
いつ頃と書くと問題が生じるので、敢えて書かないが。
六本木辺りの店で、週に何度か日付が変わるまで呑んでいた。
今思うと、何がそんなに楽しかったのか分からない。
バブル崩壊後で、リーマンショックが起こる前である。
それなりに、六本木は深夜でも活気があった。
六本木はまさに眠らない街不夜城である。
深夜1時、2時、3時を過ぎても、アマンドで有名な六本木交差点周辺には、人がうじゃうじゃいる。
特に外国人が多い。
今はどうか知らないが、その頃は「黒人デー」というのがあった。
火曜日だったか、水曜日だったか、黒人と一緒に店に入ると料金が割引になる、という不思議な企画だ。
ただでさえ黒人が多く闊歩している街なのに、その日になると、でかい黒人男性に細い腕を絡ませた若い日本人女性の姿がとりわけ目に付いた。
呑み終えた後は、首都東京と言えども、さすがに深夜電車は走っていない。当然タクシーである。
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当時は、「格安タクシー」というのが広まり始めた頃だった。
初乗りが500円で、その後の料金設定はタクシー会社によってまちまちである。
なかでも図抜けて安い“K”というタクシー会社があった。
初乗り料金だけ安く、その後の料金設定はあまり変わらないというタクシーが殆どなのに、そこだけはメーター料金も異常に安かった。
通常のタクシーなら、深夜なので自宅に着くまでに軽く3000円以上かかる。
ところが、そのタクシーを使うと3割程度安くなる。
1000円近く浮くのは大きい。
10回利用すれば10000円の違いである。
呑み屋から電話をし、呼び出しできるので、ちょくちょく利用していた。
いつも、六本木アマンドの斜向かいにある三菱東京UFJ銀行の前を、待機場所に指定していた。店を出る予定の1時間ほど前に電話を掛け、空車状況を確認し、時間を指示した。
40台ほど所有しているのだが、電話に出るのはいつも同じ人間だった。彼がひとりで全てのタクシーを管理しているらしい。
頻繁に利用したので、その配車係の人ともツーカーになった。
徐々にそのタクシーの安さが広まったのか、次第に呼ぶのが難しくなっていった。絶対数が少ないので、予約を早めにしないと、なかなか車を回してもらえない。
ある日、いつものように銀行の前でそのタクシーに乗った。
こちらは酔っているので常に饒舌である。必ず運転手さんに何か話しかける。そのときは50代くらいのおじさんだった。
「最近、景気はどうですか?」
「あまり良くないですねえ」
いやいや、その前に当然行き先を言うのである。
「〇×〇×のすぐ向かいです。昔の××××ホテルが建っていた所です」
慣れた運転手なら、それだけですぐ場所が分かる。
いや、慣れてなくても普通の運転手なら、まず分かる。
ところが、「すいません。タクシー始めたばかりで、よく分からないんです。お客さん、指示してもらえますか?」と心細い声が返ってきた。
「ああ、いいですよ」と私は答えた。
彼が以前何の仕事をしていたのか興味が湧いたので、「運転手さん、前は何の仕事をしていたの?」と訊いてみた。
彼が話し始めた。
これがまた可哀相な話で、“自分でやっていた会社が景気が悪くなり倒産し、借金取りが毎日のように訪れ、おかげで引越しをせざるを得なくなり、さらには奥さんとも別れる羽目になり、子どもさんとも会えなくなった”というような内容だったと思う。
私は酔いが一気に冷め、「それは大変でしたね」と心から同情した。
「なんとか借金を返して、元の生活に戻りたいんですけどねえ」と言いながら、涙声になってくる。運転手さんを見ると、体を前後に揺らし、頭をハンドルにぶつけそうな勢いである。
さらには
「もう、本当に死にたい気分です!!」
と大声で叫ぶのだ。
ことここに至っては、こちらも気が気ではない。
このまま電信柱に真正面から突っ込んでいくのではないかと不安になった。
しらふに戻ったどころの話ではない。脇の下から嫌な汗が滲み出た。
このおじさんと一緒に「無理心中」の巻き添えになったら、たまったものではない。
座席から腰を浮かせ、なるべく彼の耳元に顔を寄せながら、励ましの言葉をかけ続けた。
曰く「景気も少しずつ良くなってるから」とか、「人生、悪いことばかり続かないから」とか、「お子さんにまた会いたいでしょう」とか。
衝突事故など起こされたらかなわないので、こちらも必死である。
かと言って、「降ろしてください」と言うわけにもいかない。
そんなことを口走ったら、なおさら彼を刺激しかねない。
私の言葉がどこまで彼に届いたかは分からない。
電信柱に正面衝突することもなく、対向車線に飛び出すこともなく、信号無視をすることもなく、なんとか無事に自宅の前にタクシーは到着した。
一命を免れたと感じ、ほっとしたのは言うまでもない。
あの運転手さんは今どうしてるのだろう? とふと思った(笑)。