スーちゃんのお通夜でいただいた本当の宝物とは─2011年4月24日

2016/04/24 13:13 
このように多くのタレントの方々の名札が掲げられていました。
全てを載せると重くなるので、後ほどYOUTUBEの映像をご覧ください。
ただ斎場を出てからふと感じたことがあります。
心から哀悼の意を捧げたかったのに、あの瞬間だけでは伝え切れなかった。
それが心残りでした。
そこでキャンディ―ズファンの方々のために。
お通夜に参加したくても、遠くて来られなかった方々のために。
その人達にも彼女の遺影の美しさを伝え、スーちゃんを安らかに天国に送ってもらいたい。その一心で、帰宅してすぐ、深夜までぶっ通しで作業し映像化しました。
BGMを探すと、この歌がありました。
私が南青山の寮に入った時、友達がオフコースを教えてくれました。
私はテープを借りて曲を覚え、ギターを弾きながら、毎日のようにサークルの部室で歌っていたのが、この「愛の唄」
この映像に関るものは、お通夜の写真以外はすべて、私の高校1年の秋から大学2年になった春まで。キャンディーズが結成され解散するまでの4年半の想い出の産物だけで構成されているのです。
5年前、これをYOUTUBEにアップした直後、1週間弱で1万人以上の方が見に来られました。
多くの方から”ありがとう”というコメントもいただきました。
あとで編集し直したので、消えてしまったコメントもかなりあります。
なかでも、私が最もうれしかったのは、
“感動しました。
キャンディーズ時代や女優になってからのスーちゃん。
お通夜や告別式の模様など、ほとんど見ましたが…。
一番涙が溢れました。
主様の人柄が出ているんでしょうね。
ありがとうございました。“
とのコメントを戴いたときでした。
 さらに一週間後の2011年5月1日(日曜日)。
キャンディーズ追悼”として、もう1本フォトムービーを作りました。
下記は、その映像の説明文です。
スーちゃん、田中好子さんのお通夜に参列して今日で1週間になります。
あれから1週間。時の流れは速いような遅いような。
もう1週間なのか、まだ1週間なのか、自分でも分かりません。
その間、涙なしには聞けなかった最後の肉声やTBSの追悼番組など、見る度に目頭が熱くなりました。
彼女は天に召されましたが、残りのお二人はご健在です。
でも、キャンディーズは、あの告別式が最初で最後の再結成となりました。
口はばったい言い方ですが、ぼくらの青春の1ページを繋ぎとめておこう、と切に思いました。
「愛しています」と弔辞で語った二人の言葉が胸に焼き付いて離れません。
30数年前の懐かしい想い出を、レコードから拾ったもの、参加したコンサートで撮影したものなどの画像を繋いで残します。
YOUTUBEがなくならない限り、この映像は私が死んでも永遠に存在し続けます。
そして、私たちは死ぬまで、いや死んでもあなたたちを忘れません。
スーちゃんありがとう、そして永遠なれ、キャンディーズ

このような形で、私はスーちゃんのお通夜に参列させて戴いた1ファンとして、全国のキャンディーズファンのために映像をYOUTUBEにアップしたのです。
そういえば「私の宝物」について何も触れていませんでした。
”香典返し”として戴いた大きな包みは、東京では有名な「泉屋のクッキー」でした。さすがにそれを記念として残しておくわけにもいかないので食べてしまいましたが。
もう一つが、こちらの田中好子 あゆみ」というものです。
これを戴いたのは、一般人としてはお通夜に参列した800人のファンだけのようです。とても貴重で大切な宝物です。
ただ最後に言わせていただくと、これが「宝物」というよりは、スーちゃんのお通夜に参列し、あの美しい遺影を見上げ、ご遺体に祈りを捧げ、ご焼香させていただいたことこそが、本当の「宝物」だと思っています。

東日本大震災で亡くなられた方々に天国でお役に立ちたい」
と亡くなる間際まで語っていた彼女のことですから、今ごろは、今回の“熊本地震”で亡くなられた方々をも、天国で、甲斐甲斐しくお世話しているのではないかと思います。
私事で誠に恐縮ですが、先日急逝し、本日(2016年4月24日)スーちゃんと全く同じ日、同じ時間のお通夜に私が参列する、大学時代の最も親しかった先輩にも、天国で明るく接してくれることと思います。
天国からスーちゃんは、私たちに「負けないでね」とあの遺影のような優しい微笑みを浮かべ、励ましてくれていると信じています。

最後までお読みいただいた方々、ありがとうございました。感謝いたします。<(_ _)>