私の宝物─スーちゃんのお通夜でいただいたもの──2011年4月24日(1)

2016/04/24 01:09 地域の魅力 , イベント , 復興・防災
2011年4月24日、日曜日。
スーちゃんこと田中好子さんのお通夜当日。
私はタレントさんのお通夜に参列したことなど一度もありません。
香典など持っていくべきものなのかも全く分かりません。
前職の広告代理店時代なら、周りに知っている人もいたでしょうが、すでに某企業に転職した後であり、そういうことには疎い世界でした。
とりあえず失礼のないようにと、当日の日曜日、行く途中で香典袋を購入し、5000円ほど包みました。
受け取ってもらえなければ、それはそれで構わないと考えていました。
たしか、お通夜は6時から───となっていたと思います。
遅れるのは失礼なので、早めに家を出て5時頃に青山1丁目の駅で地下鉄を降りました。地上に出ると案内役の男性が立ってたので、許可をもらい、撮影させてもらいました。
青山葬儀所に着いたのは5時20分頃だったと記憶しています。
すでに多くのファンが来て、行列を作っており、私も列の最後尾に並びました。
※翌日の報道では、お通夜に来た方は、親族や著名人、芸能人が1600人。一般ファンが800人で、合計2400人となっています。
 
葬儀所に入ると、一般ファンのための祭壇が設けられていました。
この日を刻むために周りの風景でもと思い、持参したカメラでしたが、外に設けられたファン用の祭壇は規制もなく、撮影することができました。
記帳した後、「ファンの方々」という受付があったので、そちらにお香典を差し出しました。
すると“大きな包み”と”お礼の言葉”、“「田中好子 あゆみ」”と書かれた
スーちゃんの遺影が表紙になったものをいただきました。

※あとで分かったのですが、これらはお香典を出した人だけがいただけたようです。
続々と増えてきたファン用祭壇の列に並び、祈りを込めて手を合わせました。
このあと、何故に残っていたのか記憶が確かではありません。
晴れ渡った空の下で、思い出に耽りこの雰囲気に浸っていたかったのか、野次馬根性でどんなタレントさんが来るのか見たかったのか。
ずっと外にいると、読経が終わり、親族、関係者、著名人や芸能人の方々のご焼香が始まったようでした。
それから、どれほどの時間が経ったでしょうか。
「これから一般のファンの方々にも斎場に入っていただきます」
というアナウンスが流れました。
「順番にご誘導しますので左右6列(?)になって、テントの下にお並びください」と言われたかと思います。
一般ファンである私たちも、ご親族のいる斎場に入れてくれるということです。
※今になって思うのですが、ファン用祭壇に手を合わせて斎場の中に入らずに帰られた方も結構いたのではないでしょうか。
ファンの方々も少し驚いていました。
彼女の遺志で、ファンもお通夜に参列してほしいとは聞いていたものの、外に「ファン用の特設祭壇」が設けられていることもあり、一般ファンは外だけで追悼するのだろうと最初は思いましたから。
まさか、本当に彼女のご遺体にご焼香できる確信はなかったので。
並んでから数分経ったとき、とても不思議な現象が起こりました。
あれほど真っ青だった空が突然真っ暗になり、土砂降りのような猛烈な雨が降って来たのです。
私はちょうどテントに入っていて無事だったのですが、テントの外に並んでいた方はずぶ濡れになりました。
10分以上降ると雨は上がり、青い空が戻りました。
私は、霊とかそういうものをあまり信じない人間なのですが、あのときは本当に驚きました。
間違いなくあの雨は、日本中のキャンディーズファンの涙雨だったと今でも思います。
※“Candies Wiki”(キャンディーズファンが独自に作ったウィキペディア)にも
参列者焼香───親族、一般参列者(伊藤蘭、尾身美樹から故人に縁の深い方から)、ファン参列者の順に焼香を行う。この時、15分ほど大粒の雨が降った。

と記されています。
斎場に向かうテントの中には、大型液晶テレビがあり、斎場内の様子が映し出されていました。ここまでは写真やビデオ撮影が許されていました。

これはとても不思議な写真です。ちょうど画面が切り替わったときだったらしく、二つの映像が同時に写り込んだために、このような写真になっています。
誰も言葉を交わすことなく、列はゆっくりと前に進んでいきます。
斎場に入ると私は何も考えずに真っ直ぐに歩きました。
棺に近づくにつれ、頭の中が真っ白になっていきました。
最前列まで来ました。
たくさんの花で飾られた彼女のご遺体が納められた棺がありました。
40年近く前、仙台の中央通りの喫茶店で踊ってくれた時と同じ近さにその青い棺はありました。
大きな遺影を正面から見上げました。
美しかった───。
天女のような微笑みでした。
ご焼香し、ゆっくりと手を合わせました。
涙が零れました。
斎場を出ると、多くのタレントさんの名札が掲げられていました。
あいうえお順に、誰もが知っているタレントさんの名前が無数にありました。
私は係の人に尋ねました。「これは撮ってもいいのでしょうか?」と。
「構いませんよ」と彼は答えました。
スーちゃんが、これほど多くの方々に愛されていた証として私は、ほとんど全ての方の名札をカメラに収めました。