師走の京都───40年振りの再会(その7)

書き忘れたが、ホテルに着いたとき、再びT君が万歩計を確認すると、2万5千歩を越えていて、さすがに驚いた。歩幅を60cmとしても、15km以上になる計算だ。こんなに歩いたのは何十年振り、いや生まれて初めてかもしれない。

ホテルから呑み屋のある駅前までは15分おきくらいにシャトルバスが運行され、ものの5分で着く。その呑み屋で、足をさすりながら閉店まで会話をし続けた。

翌日の13日、日曜日。
予定では8時半にロビーで待ち合わせをして出発するはずだったが、歩き疲れと呑み疲れで、ぼくはかなりダウン気味だった。彼から電話が来るたびに「9時半でいいかい」「9時45分にしようか」と先延ばしして、結局チェックアウト時刻の10時ぎりぎりまでホテルにいることになった。

今回の旅行のメインである、彼との会話だけで充分満足したのだ。
前日の歩き疲れもあって、「今日はのんびりと行けるとこだけ行ければいいや」という気持ちになっていた。

まずは、ほど近い琵琶湖に行き、湖畔を散策することにした。
この日も天気は良かった。

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その斬新なデザインが一際目を引く、琵琶湖畔の「大津プリンスホテル

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円い筒を真上からぶった切ったようなデザインが、なんともユニークだ。
日本人こんなデザインをするのは、丹下健三黒川紀章ぐらいだろうと思って調べたら、やはり丹下健三の設計だった。

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琵琶湖を周遊する遊覧船「ミシガン号」

その後、琵琶湖周辺の石山寺近江八幡を訪れるプランもあったのだが、車で片道1時間近くかかることもあり、断念して奈良に向かった

奈良は、大仏や法隆寺唐招提寺という鉄板路線ではなく(T君から著名な観光地は中国人旅行客で混雑していると聞いていた)、Iさんお薦めの“100年以上の歴史がある奈良ホテル”を見たいと思っていたので、彼にそこへ行ってくれるようにお願いした。

この日は生憎、市民マラソン大会の「奈良マラソン」の開催日と重なり、奈良市内は交通規制が敷かれていた。奈良ホテルにたどり着けるのか少し不安もあったが、幸運にも、ホテルの少し向こう側でマラソンコースは外へ抜けるようになっていた。

ただし駐車場がなかった。ホテルの駐車場は宿泊客しか使えないらしい。ぼくは“奈良ホテル”の外観だけ見物できれば充分だったので、ホテルの入り口で車から降り、T君には適当に車を走らせてもらって、20分後ぐらいに再びその場所へ戻って来てくれるように頼んだ。

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奈良ホテル本館の正面玄関

奈良ホテルは1909年に営業を開始し、今年で創業106年になる。
格式の高そうな、けれど風変わりで面白そうなホテルだった。昭和の初期にはチャールズ・リンドバーグチャップリンヘレン・ケラー戦後には、マーロン・ブランドオードリー・ヘップバーンなど。著名人や有名俳優、各国の大統領や王室関係者なども宿泊している。

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関西の迎賓館と呼ばれるらしい。明治・大正時代を代表する建築家、辰野金吾の設計による桃山御殿風檜造りの本館

写真を何枚か撮った後、入り口で警備のおじさんに話しかけると、「皇族の方々が京都に来られた時に、よくお泊りいただきます」との説明を受けた。
そのおじさんはとても話好きで、他にも色々教えてくれたのだが、なかでも、昨年エレベーターが設置されたことがよほどうれしいのか、
「ようやく、ようやく、105年目にしてエレベーターが出来ました」
と「ようやくエレベーターが」という言葉を何度も口にした。
ぼくは勝手に、その人を“エレベーターおじさん”と心の中で名付けた。

奈良ホテルを後にしたぼくらは、ファミレスで軽く昼食を取った。
T君との別れの時が近づいていた。

京都と言っても、彼の住まいは中心部から車で1時間半ほどかかる。あまり遅くまで付き合ってもらうわけにはいかない。大阪まで送ってもらい、その後は一人で大阪を見物することにしていた。

途中から高速に乗り梅田駅に着いた。そこでお別れだ。
彼は日曜日だというのに夜6時から学校関係の行事があるらしい。車をゆっくり駐車している間もなく、荷物を降ろし簡単に別れを告げた。
一人になったぼくは、地下鉄で道頓堀のある「なんば」駅に向かった。道頓堀は、大阪人の活気が丸ごと凝縮されたような賑わいだった。

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有名なグリコの看板。オリンピックバージョンで生まれ変わったのか?

田舎の人間が東京に初めて出てきたとき、「東京では毎日お祭りでもやっているのだろうか?」という表現がよく使われるが、道頓堀も、祭りでもあるかのような人混みだった。

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どうしてこんなに人がいる?? 普通の日曜日なのに。

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午後3時過ぎだったと思うが、15度という暖かさ。

とりあえず、本場のたこ焼きが食べたかったので、店に入り、そこで買ったたこ焼きを持って、川沿いのテラス席(?)に座った。たこ焼きはとろけるような柔らかさで、タコも大きく美味しかった。

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この「たこ焼き壱番」でたこ焼きを買い、手前のテーブルに持ってきて食べた。

たこ焼きを食べながら、川を走る船や周りの風景をぼんやりと見ていた。

来た時と同じ空港近くのホテルに泊まり、翌日早朝の飛行機に乗るので、ホテルには夜の10時ごろまでに着けばいい。時間はまだある。どうしようか。

ただ、この日もかなり歩いたり走ったりしていたので、疲れが来ていた。
このまま、ここで少しのんびりしてから夕食を済ませ、早めにホテルに行って休もう、という考えも頭に浮かんだ。

でも、せっかくここまで来たのだ。
次に再び関西に来られる保証などどこにもない。往復1時間程度、電車に揺られることなんか、どうってことはない。そう思い直し、重くなりかけた腰を上げ、ぼくは神戸まで足を延ばすことを決めた。

(「神戸ルミナリエ」からフィナーレへ)