師走の京都───40年振りの再会(その4)
さて、美味しい昼食に舌鼓を打ったあと、ぼくたちは清水寺に向かった。
行く時間に制約があるので、それに間に合うようにしなければならない。
ただ、まだ午後2時前だったこともあり、
高台寺のライトアップには悠々間に合いそうだった。
それでぼくは近くにある京都市美術館を訪れ、そこで学芸〇長をしている
大学時代のサークルの先輩であるOさんに10数年ぶりに会って話をしたいと思い、
T君の了解をもらって車の中から美術館に電話を掛けた。
けれど電話に出た女性からは、その先輩は午前中で帰ってしまった、
との返事だったので、寄り道を止め、当初の予定通り清水寺に向かった。
※ちなみに、この先輩は、普通、大学ではありえない教養〇年という経験を
経てきた猛者であり、サークルの先輩や同期、後輩たちからも、この人は
今後どうするのだろうと思われていた人物なのだが、今では美術界において
かなり名の知られた存在になっており、学生時代からは想像できなかった
成功者の一人で、テレビ番組「なんでも鑑定団」などにも何度か登場している。
人間の将来など、大学時代になってもなかなか分からないものである(笑)。
個人的にはとても好きな先輩で、非常に面倒見の良い、楽しい人である。
話を戻すと、清水寺で頭を悩ませたのは、どこに車を停めるかということだった。
Iさんからは
と教えられていたこともあり、そこを通って清水へ向かおうと思っていたが、
「車を停めるところがあるかなあ」とT君は言った。
ところが、うまい具合に一念坂に程近い公営駐車場(だったかな?)が
数台分空いていて、そこに車を置くことができた。
ただし、そこから清水寺へは想像以上の長い道のりだった。
しかも、途中からは延々と登り坂が続く。
地下鉄やバスで観光している人たちは、清水寺からそのまま次の目的地へ
向かえば良いけれど、ぼくらは再びこの駐車場に戻って来なければならない。
そのことが、この日、膨大な距離を歩く原因の一つとなった。
二寧坂では、「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」という言い伝えは
「石段坂道は気を付けて」という警句が語り伝えられたものと思われる。
また、産寧坂ではここで転ぶと、三年以内に死ぬという伝説がある。
また転べば三年の寿命が縮まるという説もある。
最初は平坦だったが、確かに転んでも不思議ではないほど
徐々に坂の傾斜がきつくなってくる。
連れて、人もどんどん増えてきて、新宿歌舞伎町並みの人混みになってくる。
半分くらいが外国人観光客。ここでも中国人が多かった。
霰をこぼしたように小石が散りばめられた路地と言われる「ねねの小径」
ぼくらはそこに入らずに「ねねの道」を歩き、一念坂へ向かう。
まだ緩く平坦に近い「ねねの道」or「一念坂」
このあたりから傾斜もきつくなり、人も多くなる。(来た道を振り返った写真)
左に折れて、かなり急な石段を登っていく。人も多くなり、混雑が激しい。
(続く)