1979年8月、38年前の夏休みに盲腸になる。(その2)

恵比寿の駅から歩いて5分。後で分かったが、3月まで住んでいた南青山の寮から歩いても20分ほどで行ける小さな2階建ての病院だった。
 
新橋の病院でもらった紹介状を見せると、電話で話が行っていたのか、すぐに診療してくれた。どういう診断をしたのか、今となっては記憶はおぼろげだ。レントゲンとか超音波(当時あったのだろうか)とか撮ったのだったか?
 
兎に角、その医者の下した診断では“急性虫垂炎”。
そして、「緊急手術しないと危ない」と言われた記憶だけはある。
盲腸で死んでしまう人間がどれだけいるのか知らないが、その言葉を聞いたときは、かなり不安になった。
 
貧乏学生だから、現金もそれほど持っているわけはない。
携帯電話など影も形もない時代である。病院のピンク電話から、仙台にいる親に電話を掛けたはずだ。最終的にお金がいくらかかり、いつ払ったのかも覚えてないが、その夕方すぐに手術をすることになった。
 
手術となれば、当然その後は入院である。
着替えなども必要だと言われた。
青山寮に一時的に戻る時間もないと言われたので、寮にも電話を掛けた。
夏休み中だから寮に残っている学生は少ない。多くが地方に帰省してしまっているので、とりあえず管理人に知らせたのだったか。
※この部分も思い出しました。
下落合の下宿に知り合いなどいないので、青山寮に住んでいる友人に電話を掛けたのだった。そして彼が、どこかで着替えなどを買って持ってきてくれたのだ。あの時はありがとうね。岡山出身のK君。
 
手術が始まった。
手術室は1階。診察台で、上は下着だけ、下はパンツ1枚で仰向けになった。まずは、何故か胃の辺りに仕切りのようなものをあてがわれた。つまり、今何が行われているのか見えないようにするためである。それから背中に麻酔を打たれた。全身麻酔ではないので、意識はしっかりしている。
 
さあ、問題はそこからだ。
盲腸の手術は腹部を切開するので、余計なものが内部に入ってはいけない。下半身で邪魔なものを取り除かなければならない。そう、陰毛を剃るのである。当然、その前にパンツは脱がされる。というか看護婦さん(現在では看護師さんという名称だが)が脱がしてくれる。
 
肝心なのがこの場面である。ここからは表現に気を遣う()
盲腸になると下の毛を剃られるというのは、当時よく男子の間では下ネタの笑い話となっていた。つまり、パンツを脱がされ毛を剃られる=看護婦さんに〇〇〇を披露する。もし、綺麗な看護婦さんだったら、どうにかなってしまわないのか?
という三段論法である。ホントか?
最近あまり盲腸の話とか聞かないが、今の若い男の子はそんなネタでは笑わないんですかね??
※ここからは敢えて看護婦さんと書きます。ご了承下さい。
 
ぼくは普通の看護婦さんが来ることを願った。
ところがところが、世の中というのは恐ろしいものである。こういう時に限って、若くてきれいな、ぼくと年の変わらない看護婦さんが見事に現れるのだ。
「痛くないから大丈夫だよ」
その看護婦さんは、チャーミングな笑顔をぼくに向け、そんな言葉を発したような気がする。
 
ぼくは懸命に別のことを考えようと集中した。
天井をじっと見つめる。
ああ、シミがたくさん付着した汚い天井だな。
無理にそんなことを考えても、今見た綺麗な看護婦さんの顔がなおさら頭から離れなくなるだけである。
 
よくよく考えれば、下半身麻酔を打たれているのだから、盲腸手術で男の沽券にかかわるような恥ずかしい事態は起こらないことに後で気づくが、その時は真剣である。
 
じょりじょりと毛を剃る音が聞こえてくる。
毛を剃り終わると次はメスが入れられる。何となく体が切られているような音が聞こえイメージは湧くのだが、当然痛みは全くない。
 
手術の時間はどれくらいかかっただろうか。


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(つづく)